昭和前期

戦争で都市ガスは苦しい状況に

昭和の初めになると、人口が都市に集まったことから、都市ガスの利用もますます増えていきました。ガスの火を使ってご飯を炊いたり、お味噌汁をつくったりと、家庭にとってガスは身近なものとなりました。

しかし、1930(昭和5)年ごろから不況が始まり、家庭のガス利用は冷えこんでいきました。さらに太平洋戦争が追い打ちをかけ、ガス産業は厳しい状態に追い込まれていきました。

戦時中の天然ガス利用

戦争のための体制が強まるにつれ、さまざまな規制がしかれ、軍隊が優先されるようになりました。鉄鋼などの資材も、軍隊が優先して使います。そのため、ガスタンクやガス管など、ガスの設備に使う鉄鋼を手に入れることがとても難しくなってしまいました。

さらに、ガスの燃料となる、肝心の石炭も足りなくなってきました。そうしたなか、1941(昭和16)年には国内の石油、天然ガスの資源開発を一つにまとめて行うため、わたしたちの会社の前身の一つである帝国石油が設立されました。

新潟県では、江戸時代から天然ガスを利用していましたが、このころ天然ガスに圧力をかけて体積を小さくし、これをボンベにつめて、自動車の燃料としても使われました。また、自動車だけでなく、家庭用や工業用にも使われ、天然ガスの開発や利用は、少しずつ着実に進んでいきました。